Les Paulとは人名で、このギターの発案者であり、当時大人気だったジャズ・ギタリストです。もともと機械をいじるのが好きだったようで、レス・ポール以前にも丸太にピックアップを取り付けたような試作品のギターをギブソン社に売り込みに行ったりしてたそうです。とにかく、ギターをもっと大きな音で鳴らすことに関心があったようです。
できあがったギターにはP-90ピックアップが二つ、トラピーズブリッジが搭載されていました。ボディはマホガニーの上にメイプルが貼付けられ、アーチが付けられました。これは当時カービングマシーンを持っていなかったフェンダー社に対抗するためだったと、当時の社長だったテッド・マッカーティが語っていました。さらに、高級感を出すためにセルロイドのバインディングが施されました。この辺は老舗の意地だったんでしょう。バインディングはネックにも施され、フレットのエッジをカバーし、指にストレスを感じさせないネックを完成させました。
また当時は木取りにもこだわっていて、ギターをテーブルに寝かせてネックを横から見た状態で、木目が斜めに入るようにしていたため、充分な強度をかせぐことができました。これは60年代の終わりまで続きます。ただしこの方法はコストがかかるため、のちに木目をまっすぐに取るようになり、強度をかせぐために「ボリュート」と呼ばれるコブのようなものがネックの付け根に付けられます。これは70年代のギターに多く見られます。その後改善されますが…。
当時のネックはフロント・ピックアップの真ん中ぐらいまで差し込んであり、中子も大きく接着面が広いので丈夫なうえに、ネックの振動をボディに伝える効率も高かったようです。90年代ぐらいから「ディープ・ジョイント」とか言われてこの工法が復活したようですが。
とにかくどれもこれもフェンダーにはない内容です。この辺には技術の差が表れています。
ただしフェンダーは革新的なアイデアの塊のようなギターを発表していたので、伝統的な工法などにははなから興味がなかったのかもしれません。
レス・ポールはその後’53年にはマッカーティ・ブリッジが採用され、’57年にはピックアップがハムバッキングに、ブリッジはチューンOマチック+ストップ・テイルピースになり、’58年にはとうとう塗装がゴールド・トップからサンバーストになり、Les Paul氏との契約が切れるまでは生産が続きます。その間ネックの角度は1度~3度~5度と変更があり、ヘッドの角度も17度から14度へと変更されました。これらは不良品発生率を下げるためでしたが、もちろん音質(とくにアタックやサステイン)に影響を及ぼします。そして’61年からは大きくモデルチェンジして、いわゆるSGの形になってしまいます。この時代のSGにはトラスロッド・カバーに”Les Paul"と書いてあり、「SGレスポール」などと呼ばれたりします。この時期Les Paul氏との契約も切れ、レスポールも生産終了となります。
ただ、当時はそれほど人気がなかったようです。’60年代後半のいわゆるブリティッシュ・インベンションの時、イギリスのロック・ギタリストたちがこぞってレスポールを使い、アンプをオーバードライブさせて作り出したサウンドが多くのギタリストを虜にしたため、人気が出たようです。Les Paulさんもそんな使い方されるとは思ってなかったでしょう。
今となっては普通の人には買えないギターとなってしまいましたねえ。